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君がいなくなって一年


Yくんが亡くなって1年。



彼とは幼稚園からの付き合いだった。小学校、中学校と一緒。高校は違ったけれど家が近所ということもあり、よく会っていた。予備校も一緒に二年通った。(笑)


大学受験で上京した際の宿が偶然にも一緒だったこともあった。(受験生用の相部屋だというのでちょっと緊張して部屋に行くと彼がいた。)

二浪の末、お互い東京の大学に入学。別々の大学ではあったが、何かにつけ一緒に遊んでいたっけ。


彼は昔からマスコミ・メディア関係の仕事をめざしていた。彼と行動を共にしていた私から見ても彼の才能が発揮できるのはそういった分野だと思えた。


某音楽関係の会社に入社してしばらく大阪にいたが、出版業界へ転職をした。この転職の際、私のところに寝泊まりしながら面接試験に出掛けていったりしていた。


彼は服装とかにあまり頓着しない性格だった。

面接試験だというのに非常にラフな格好だったものだからネクタイを貸してやったり、あまりに汚れた革靴を磨いてやったりと世話女房になったのも、今は懐かしい想い出。


首尾よくK談社に入り写真週刊誌、青年情報誌なんかを担当して忙しくしていたようだ。お互い家庭を持ち、会う回数もへり、年賀状のやりとりだけになった。


そんな彼から突然、電話があった。偶然にも私の大学時代の友人と今、一緒に仕事をしているのだという。久しぶりだから会おうということになった。


久しぶりに会った彼はひどく年取ったように見えた。髪はポヤポヤ、頬はコケ、かなり痩せていた。


実は急性白血病で一年闘病していたのだという。骨髄移植で一命をとりとめ、その年の春、ようやく仕事に復帰したのだと。


そんなこと全然知らなかった。


彼は持ち前の話術で自分の体験を面白おかしく語ってくれたのだが、そこには「生きることのありがたさ」「仕事ができる喜び」が溢れていた。日常に埋没していた自分は、その言葉にすごく打ちのめされてた。


その半年後、亡くなる数週間前に偶然にも帰宅途中に池袋の駅でバッタリと会った。小一時間お茶しながら近況を話し合ったが、それが彼との最後になるとは...。


彼は「自分の子供に誇れる仕事がようやくできた。」といっていた。それがこの本。




"遙かなるクリスマス" (さだ まさし)


さだまさしの詩に魅せられ何かに憑かれたように作り上げたといっていた。今思えば、彼は自分に残された時間が長くないことを予感していたのかも知れない。


昨年の2月、インフルエンザから肺炎をこじらせてYくんは突然いなくなった。


あれから一年、突然、後ろから「やあ、今帰り?」とYくんの声がしないかと池袋のコンコースを私は今も歩いている。

  1. 2006/03/05(日) |
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